タカザワケンジ" someone's watching me "

2021.12.27(MON)~2022.1.23(SUN)

someone's watching me 001
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タカザワケンジによる作品解説

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路上の肖像

 写真表現の歴史にはストリートスナップという巨大な山脈がある。ストリートスナップとは小型カメラで路上(ストリート)のシーンを速写(スナップ)した写真のことだ。

 1930年代にアンリ・カルティエ=ブレッソンが撮影した作品はその先駆であり、ウィリアム・クライン、ギャリー・ウィノグランド、ヘレン・レヴィット、森山大道など、路上で速写した名作写真は枚挙に暇がない。

 しかし、現在の価値観ではストリートスナップには問題がある。写っている人の肖像権が侵害されるからだ。

 ストリートスナップは基本的に写っている人に声をかけずに撮影する。いま眼前にあるありのままの状態を写真に収めたいという欲求から生まれている。しかし、写される側の立場に立てば、無断で撮影された不愉快な経験となる。

 ストリートスナップは撮りたいという撮る側の欲求と、撮られたくないという撮られる側の気持が擦れ合い、時にはトラブルに発展する。とくに現代ではSNSで写真が容易に拡散されるため、写っているだけで不利益になるかもしれない。そうした事態が予見できるからこそ、写されることに不快感を感じるともいえよう。

 一方で、近年、街には監視カメラが増えている。朝田佳尚著『監視カメラと閉鎖する共同体:敵対性と排除の社会学』(慶應義塾大学出版会、2019)によれば、1970年代80年代にかけて監視カメラが防犯カメラと言い換えられ、犯罪の予防効果が強調されるようになった。現在では公共の場所に設置された防犯カメラの映像は自動化により人間抜きに記録され、捜査機関の要請がなければ閲覧を認めないというルールが一般的のようだ。

 個人が撮影することには抵抗があるが、公的な理由があれば受け入れられる。機械が記録するだけなら悪用されることもないだろう──それが現代の路上の写真・映像の倫理なのである。

 上記を踏まえて、私が試みたのは、監視カメラの視点で社会を見ることである。そのうえで顔のみを抽出する。個人を特定できないように。

 写真は絵画とは違い現実を正確に描写するため、つねに特定の誰かを傷つける可能性がある。しかし、写真史上のストリートスナップが現代の私たちに多くのことを伝えていることを考えれば、個人が表現として撮影することに意味があると私は思っている。しかし、繰り返しになるが、撮られる側の権利もまた守られるべきであろう。ではどうすればいいのか。

 答えは一つではない。路上で撮影することの困難が、新しい写真表現を生む可能性もある。ここに展示する写真は、その可能性を広げるささやかな試みである。

 

タカザワケンジ